2011年01月31日
母の事
母の話
明日は母の命日
釣りが好きだった母、「海をみてると何もかも忘れられる」って言ってた。
堤防にじっと腰かけて釣り糸を垂れながら色々考えてたんだろうな・・・と思った。
母は宇和島の田舎の精米所の箱入り娘。
はるばる海を越えて長崎の生月という島に住む父の所にお嫁に行った。
当時父は漁業を営んでいて農家からお嫁に来た母には大変な毎日だったと思う。
長崎から延岡に来て父は陸に上がり苦労して一家の暮らしを安定させていった。
実は私は「出戻り娘」で、出戻った当時私が食事の用意など家事一切をやっていた。
「上げ膳、下げ膳でいいわ~」と、言ってくれていた母。
だけど、三か月後、大好きな釣りに行っていて、倒れて意識不明に。
お医者さんに「お母さんはもうダメです。会わせたい人を呼んでください」
って、言われて初めて頭の中が真っ白になる経験をした。
とても受け入れがたかったけど、一週間母は人工呼吸器でもった。
その間、心と気持ちの準備も出来て母を見送る事ができた。
何歳になっても母は恋しい。
当時は車の免許も持ってなかった私、今は免許もあるし今の旦那さんと再婚して子供まで授かった。
今なら、温泉旅行や子供の運動会、と楽しい事たくさん一緒に出来たのにな・・・と。
親孝行したい時に親はなしって、言いますが良い意味にとるようにしている。
ちゃんとやってるよ、やれてるよ、と。
父は母が亡くなって少し大人しくなった。その父も一昨年亡くなった。
父の事はまた別の時に。
母が作る「焼き飯」と「煮込みうどん」はとても美味しかった。
なんで、もっとちゃんと作るの見とかなかったんだろうと、悔やまれる。が、まぁ、そんなもんだろう。
お嫁入り前の娘さんは是非お母さんの手作り料理をメモっとく事をおすすめする。(余計なお世話だけど)
編み物や縫物も上手だった母。
お正月の着物と浴衣は毎年縫ってくれた。今ならハンドメイド作家だ。
そこまでは出来ないけど、私もぼちぼち。
今日は母の命日を前に色々つぶやいてみました。